僕が男子禁制の書、「男のトリセツ」を買ってしまったことによる著者への懸念


先日ブックオフに行ったところ、この本の前で足が止まった。本のタイトルは「男のトリセツ」、著者は神崎メリという方だ。書店にこの本が陳列してあった時、多くの男性は、「へ~、こんな本が売っているのか~、おもしろいね~…….、さ!漫画、漫画~(そして、漫画のコーナーへ)」といった感じで気にせず通り過ぎるだろう。でも、僕はそうはならなかった。むしろ不安になった。「もしかして、僕が将来好きになった女の人がこの本を人生のバイブルとして持っていたら、僕はまるでバービー人形のようなただのおもちゃとして取り扱われてしまうのではないか。」と。先々の不安は早めに取り除かねばならない。買う以外の手段はなかった。しかし、家に着いて冷静になって考えてみた。果たしてこれは許される行為なのだろうか。男が「男のトリセツ」を読んでいいものなのか。
 ChatGPTに関しても同様の問題が存在する。よく、大学関係者の間では学生のChatGPTの取り扱いについてさまざまな議論が交わされる。その一つとして挙げられるのが、レポートを書く際にChatGPTを使っていいのかという問題だ。仮に、大学側が使ってはいけないと判断した場合、「レポートにChatGPTが使われたかを判別できるシステム」を大学側が導入する。これで一時的には解決する。しかししばらくすると今度は、学生側が「ChatGPTが使われたかを判別するシステムを通り抜けるシステム」をつくる。するとそれに対抗して、「ChatGPTが使われたかを判別できるシステムを通り抜けた論文をまたさらに判別するシステム」をつくる。すると今度は。というようにいたちごっこになってしまう。もし「男のトリセツ」を男が読んでしまった場合、著者である神崎メリさんは「男のトリセツを読んだ男のトリセツ」を書かなくてはいけなくなってしまうでのはないか。仕事を増やしてしまうのではないか。これが著者に対する懸念だ。私はそれが不安でならない。幸い、まだ買っただけなので中身は一部しか読んでいない。仮に全部読んでしまった場合は、その後のいきさつもnoteにあげようと思う。